今から2500年前、インド北部にお釈迦さまは誕生され仏教が生まれました。インドでは仏教徒は随分と減りましたが、今でも世界の仏教徒が巡拝に仏教聖地を訪れます。か
つては法顕、玄奘など僧侶が命がけで行かなければならなかった場所ですが、ラッキーな我々は翌日にはブッダガヤなど聖地に着いてしまうのです。単なる遺跡
として見るのではなく、そこにブッダを見るかもしれません。沢山の聖地を簡単に廻るのではなく数箇所でいいですから、じっくり訪れてください。以前、ブッダガヤの土産物売りの人から言われた言葉が忘れられません。「聖地だけど、お参りより先に記念写真を撮るのは日本人だけですよ。」
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雨季の尼蓮禅河 |
ルンビニ(誕生) |
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ネパール領内にあるお釈迦さまがお生まれになった聖地です。
伝えではシッダールタ(お釈迦さま)は生まれて直ぐに歩き、天地を指し『天にも地にも、ただ独りわたしとして尊いのである(天上天下唯我独尊)』といったとされています。
園内にはお釈迦さまをお生みになったマヤ夫人をお祀りした『マヤ堂』、お釈迦さま入滅後、インド国内のみならず広く仏教を庇護した偉大なるアショカ王がお釈迦さまの誕生地であることを証明した『アショカ王柱』があります。
ルンビニの近くにはお釈迦さまの国都カピラバストゥ(釈迦国)跡もあります。ネパール領のティラウラ・コット、インド領のピプラハワの両説があり現在も調査中です。
お釈迦さまはもともと釈迦族の王子だったのです。ルンビニへはインドから入国する場合はソノウリという町を通りバイラワ経由となります。カトマンズから飛行機でバイラワまでたった1時間でつきます。
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ルンビニ |
ブッダガヤ(成道) |
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お釈迦さまは世の中の無常を感じ29歳で出家され、6年間想像を絶する苦行を重ねられます。その後菩提樹の下で静かに瞑想され、36歳で悟られます。
ブッダガヤは、ビハール州ガヤから車で約30分のところに位置します。お釈迦さまが悟られたその場所に金剛宝座と菩提樹、仏足蹟があり世界各国からお参りに来られます。
※寺院内は土足厳禁です。
近くには、お釈迦さまが禅定された前正覚山や沐浴された尼連禅河、お釈迦さまに乳粥を供養されたスジャータという娘の住んでいた村スジャータ村があります。
ブッダガヤはお土産屋さんがウルサイ!と言う方が多いのですが、そういう方には早朝5時か夜の8時頃がオススメです。
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金剛宝座 |
サールナート(初転法輪) |
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当初、お釈迦さまは悟られた内容を人に伝えることを迷っておられましたが、ブラフマー神(梵天)の度重なる懇願を受け、ご決心なされ人々に諭すため向かわれた先がサールナート(鹿野苑)。ここでかつて一緒に修行していた5人の比丘にご説法されます。その内容を理解し、仏、法、僧の三宝がそろい仏教が誕生したのです。
サールナートは、ベナレスから車で約30分のところに位置し園内にはアショカ王柱、ムーラガンダクティ寺院跡、ダメーク・ストゥーパや僧院跡が残り鹿がいます。(当時お釈迦さまがご説法された時にもそばに鹿がいたそうです。)
園の近くには考古学博物館がありグプタ朝の仏像は必見です。※カメラ持込禁止。
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サールナート ダメークの塔 |
ラージギル(王舎城) |
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かつてインド亜大陸で最大国だったマガダ国の首都跡。この都は周囲を5つの山で囲まれています。
お釈迦さまは修行時代にビンビサーラ王に説法される約束をし、その約束を果たすために千人の弟子とともに訪ねました。そこで、ビンビサーラ王より初めてのお寺竹林精舎が寄進され雨季の時期はここで雨安居されました。
お釈迦さまは晩年、霊鷲山の山頂にて多くの説法をされました。ラージギルへは空港のあるビハール州の州都パトナから車で約3時間。街中には、お釈迦さまも沐浴されたであろう温泉精舎もあります。
霊鷲山へは麓まで車で行き、なだらかな坂(ビンビサーラロード)を徒歩で約30分です。
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霊鷲山 |
スラバスティ |
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マガダ国の次に大きかったコーサラ国の首都が舎衛城(マヘート)。
舎衛城の商人スダッタさんが寄進された精舎が祇園精舎(サヘート)。
お釈迦さまの度重なる布教活動により、コーサラ国にも仏教が広まりました。祇園精舎は仏説阿弥陀経が説かれた場所で、ラージギルの竹林精舎と並び二大精舎です。
現在も、広大な敷地に祇園精舎跡が残っておりアーナンダ菩提樹と呼ばれる神樹があります。かつて、法顕、玄奘三蔵、義浄もかの地を訪ねております。
スラバスティーへはラクノーから車で約5時間で行くことができます。
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祇園精舎 |
サンカシャ(三道宝階降下) |
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お釈迦さまをお生みになったマヤ夫人はその7日後に亡くなられました。お釈迦さまはお母様に説法されるため天上界に上がられ降りて来られた場所です。天上界からお釈迦さまが降下される際、3つの階段が築かれ中央の金の階段をお釈迦さまが、右側の白金の階段をブラフマー神(梵天)が白い払子を手にして、左側の瑠璃をインドラ神(帝釈天)が天蓋をお釈迦さまにかざして、多くの天人たちを従え降下されていきました。
現在はアショカ王柱と祠堂があり、地上界に再びお釈迦さまがお戻りになった喜びの聖地です。サンカシャへはアグラから約5時間で行くことができます。宿泊施設がない為、アグラ往復するかラクノーやヒンドゥー教聖地のアヨーディヤまで行って泊まる事になります。
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サンカシャ アショカ王柱 |
バイシャリ(猿王奉蜜) |
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2500年前は国際商業都市でした。お猿さんがお釈迦さまに蜂蜜を寄進したと言われる場所。
お釈迦さまはインド各地へ布教の旅に出られましたが、この都市にもよく立ち寄られました。お釈迦さまが出家して最初に修行した地で、第二結集の地、また薬師如来招請の地でもあります。
現在も、立派なアショーカ王柱が残っています。お涅槃のブッダ最後の旅ではここからスタートされます。
バイシャリへはビハール州の州都パトナから約2,3時間。宿泊施設はありません。
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バイシャリ ストゥーパ アショカ王柱 |
クシナガラ(涅槃) |
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80歳のお釈迦さまはバイシャリ、ケサリヤを経てパーヴァー村に入られました。パーヴァー村でお釈迦さまは鍛冶屋チュンダの家で供養を受け、食中毒にかかられ苦しまれました。お釈迦さまは「今までの供養で特に2つ素晴らしかった。一つは苦行の末にいただいたスジャータからもの。そして今日いただいたチュンダの供養だ。」とおっしゃられました。
お釈迦さまは苦しまれながらもクシナガラに向かわれ、そこで死期を悟りついに2本の沙羅の木(沙羅双樹)の下で涅槃に入られます。
クシナガラは今も静寂に包まれた聖地です。
涅槃像が安置された涅槃堂、お釈迦さまが荼毘にふされた荼毘塚があります。
クシナガラへはゴラクプールから約1時間30分です。
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クシナガラ 涅槃堂 |