インド、チベット、東南アジア、聖地、秘境、ヨーガ、アーユルヴェーダ 目的に応じた旅をご案内 【カイラス 東京・国立市】















まずはインドの玄関口からスタートです。      




歴史の町 首都デリー

デリーは、首都ニューデリーの近代的な街並みとムガル帝国時代の面影を残すオールド・デリーが対象的な所です。

その歴史は、3000年にも及びます。中央アジアから南アジアに入る要所に位置したデリーは、在地と外来の政権がここを都とするために、古来同じ場所で権力争いが繰り広げられ、時の権力者が営んだ都が時代を異にして築かれてきました。

歴史的な建造物には、破壊され転用された石材が所々にはめこまれているのを見ることが出来ます。
昔の面影をとどめる城跡が、めまぐるしく政権が交代したデリーの歴史を今も伝えています。

観光名所として、デリー城(ラール・キラー又はレッドフォート)、回教寺院ジャーママスジット、インド門、勝利の塔クトゥプミナール、国立博物館などがあり歴史的にも文化の面でもインドの魅力を十分に堪能できます。

城壁の中には小さなバザールもあれば、宮殿の中で宝石のはめ込まれた黄金の王座も見ることが出来ます。
デリー城の近くにあるチャンドニチョウク(月光の市)の大通りからは、無数の通路が伸びていて布織物、綿製品、刺繍、紅茶、絨毯、銀器、アクセサリーの専 門店が軒を連ねています。ニューデリーのコンノート・プレイス(中央に噴水がある公園)には現代的なショッピングセンターもあります。

お得情報
各州政府の物産店エンポリウム(Emporium)がコンノートプレイスちかくにあります。
場所は、ジャンパト通りのインペリアル・ホテル向かいの高層ビル内Central Cottage Industries Emporium
安価で良い物があると評判です。
 




映画の都ムンバイ(ボンベイ)

ムンバイは、インドの西の玄関口です。

16世紀にポルトガルがゴアの補助港として、要塞と教会を建てたことからムンバイの歴史は始まります。
ポルトガル女王がイギリス国王に嫁いだ際にイギリスに譲渡されました。今もなおイギリス統治時代のゴシック建築が町のあちこちに残っています。

異なる文化が花開き外に向かって開かれた町であったムンバイで、インド映画も発展しました。
この地で1896年にインドで初めての映画が上映されました。1912年にはインド映画の制作が始まり、1913年に完成した『ハリシュチャンドラ王』 は、当時大人気を博しました。後にムンバイは、映画制作の本場として知られるようになりました。今では大きな国際空港と最先端の港湾や商業街が映画の舞台 のような華やかさを呈しています。

観 光名所として、インド門、マリーン・ドライブ、ジャハンギール美術館、プリンス・オブ・ウェールズ博物館、チャンドラパティ・シバジ・ターミナス駅(ヴィ クトリア・ターミナス駅)などがあります。郊外には、チョウパティ海岸、ジェフ海岸、ホリビリには素晴らしい野生公園のサンジャイ・ガンディー国立公園が あります。
エレファンタ島では、1987年に世界遺産に登録された7窟のヒンドゥー教の石窟寺院に素晴らしい壁画彫刻の仏像を見ることが出来ます。
特にシヴァ神は必見です。

買い物は、コラバ通り、プラバイ・デサイ通り、チョウ・バザール、ジャヴェリ・バザール、オベロイ・タワーズ(空調の効いたショピングプラザ)などで楽しむことが出来ます。



文化都市コルカタ(カルカッタ)

およそ300年前からコルカタの歴史は始まります。

1690年代に東インド会社の最初の本拠地がコルカタに築かれました。いくつかの有名な史跡は、このイギリスの貿易会社によって建てられています。インド の伝統的な社会に当時先進的だったヨーロッパの文明(近代的な建物、鉄道、電気など)が持ち込まれ、インドの人々の中に別の新たな社会をもたらしました。
19世紀にはイギリスの拠点として繁栄しましたが、300年の歴史の中で中国、アルメニア、ユダヤなどの異なった文化を受け入れてきた影響がコルカタの町には色濃く残っています。

近年英語名の呼び名であったカルカッタから現地語の呼び名コルカタに変更されました。詩人タゴール、映画監督サタジット・レイなどの芸術家をも輩出しています。西洋と東洋が複雑にからみあってきた街です。

観光名所として、特にメインストリートのチョーロンギー通りに面した国立インド博物館は必見です。この目抜き通りから東側一帯が庶民のショッピングエリアとなっています。西側がマイダン(カルカッタ公園)と呼ばれる広い公園です。

カーリー寺院の前には、故マザーテレサが開いた『死を待つ人の家』があり、1日だけのボランテイアも歓迎されています。今もシスターたちは4時に起床してチャペルで朝と夕べの祈り、質素な食事、短い休憩時間を除いて忙しく奉仕生活を送っています。

他には、ヴイクトリア記念堂、アルメニアン教会、セント・ポール聖堂、ジャイナ教寺院、アストシュ博物館、ハウラー橋などがあります。




南インドの基点チェナイ(マドラス) 

チェンナイは、タミルナードゥ州の州都でベンガル湾を望む南インドの入り口です。

1996年にチェンナイというタミル語名の正式名称に変わりましたが、以前はマドラスと呼ばれていました。

インド4大都市のひとつで経済的にも南インドの中心的存在です。

大都市特有の喧噪とベンガル湾から吹く心地よい潮風が鮮やかなコントラストとなっています。

潮風が吹き渡るマリーナビーチは市民の憩いの場所でもあり、海岸沿いには多くの建物、銅像、記念碑、霊廟、史蹟が点在しています。

タミルナードゥ州は、ヒンドゥー教の砦ともいえる地域で華やかなドラヴィダ文化の伝統が今なお残っています。南インドの代表的な舞踏のバラタナーティアムを教える学校もチェンナイには、あります。

五千年の悠久の歴史を持つインドは、ユネスコによって文化遺産21・自然遺産5の全26ヶ所の世界遺産が登録(2005年2月)されてます。その中から2つの世界遺産をご紹介します



チェナイの近場の観光地
世界遺産マハーバリプラム(チェンナイから南海岸沿いに南へ60㎞) 

4世紀から9世紀にかけてパッラヴァ王朝がベンガル湾の港町に残したバラエ ティ豊かな石の傑作建造物群です。当時マハーバリプラムは、王朝最大の貿易港として栄華を極めていました。王様達は、花崗岩の台地に岩石寺院、石窟寺院、 神話の世界を題材にした石彫作品などを建造しました。巨大岩に彫られた世界最大級の神話の世界は、特に見応えがあります。



世界遺産カーンチープラム(チェンナイから南西へ77㎞) 


ヒンドゥー教の7大聖地の一つで今もたくさんの巡礼者が絶えません。
パッ ラヴァ王朝の残した古都で7世紀から8世紀に栄え、シヴァ神ゃヴィシュヌ神を祀る寺院が数多く建てられました。特に、カイラーサナータ寺院・ヴァイクン タ・ペルマール寺院・ワラダラージャ寺院・エーカンバラナタール寺院が美しく壁面や石柱に施された精巧な彫刻が見事です。また、絹織物の産地としても有名 で織布工や染色工の集落もあります。舞踏で使用されている華やかな衣装は、この地域の家族経営の小さな工房で作られました。