インド、チベット、東南アジア、聖地、秘境、ヨーガ、アーユルヴェーダ 目的に応じた旅をご案内 【カイラス 東京・国立市】














初めてインドに行き、ヒンドゥー教の神々を見てもなかなか覚えられないと思います。

しかしインドを旅するのに、ヒンドゥー教はやはり少しだけ知っておいた方が楽しいでしょう。

かつてペルシア人が「シンドゥー川(インダス川)の向こうの国」と呼び、その国の宗教そのものがヒンドゥー教ということになります。


インドを歩いているとマンディラと呼ばれる寺院にすぐ行くことが出来ます。

異教徒が入ることができないベナレスのヴィシュワナート寺院など一部を除き、我々も入ることができるので入ってみよう。

ヒンドゥー教徒にとって大切な場所なので土足厳禁だし、もちろん帽子はとるようにしましょう。

入り口にある鐘を鳴らし、前を行くインド人のようにお参りしてもかまわない。

寺院の中の片隅で座るのも気持ちいい。時にはバジャン(神に捧げる歌)を聴くチャンスにも恵まれる。

お参りをさせていただくと供物(プラサード)のお下がりや聖水をくれたりもする。
沢山の神々がいます。神々は乗り物があり、持ち物が異なる。

 
ヴィシュヌ神

色々な形に変化して現れる。

魚、亀、猪、人獅子、矮人、ラーマ、クリシュナ、ブッダ。

ブッダもヴィシュヌとして取り入れられているのには抵抗があるが、世の中が危機に瀕した時に色々と変化し我々を助けてくれる神様ということなのだ。

次はカルキという形となって現れるのだそうだ。

持ち物はチャクラ(円盤)、こん棒、ほら貝、蓮華。乗り物はガルーダ。

奥様はラクシュミーという富と幸福の神さま。 





シバ神

破壊と再生を司る神として大人気。

額に月を付け首には蛇を巻きつけている。三叉の戟(さんさのげき)を持つ。大きな特徴は第3の目を持つことだ。シヴァ神の寺院に行くと必ずといっていいほど、「リンガ」という男根が「ヨニ」と呼ばれる女陰がある。

豊饒、繁栄を意味するのだと思うが、私が驚いたのは、男根が下、地面に突き刺さっていると思っていたのだが、逆なのだ。
地面から突き刺さっているのだ。
それを見ている我々は子宮の中だということだった。
 






ガネーシャ

顔が象さんメタボな神様。

学問、富の神様でインドで大人気です。(最近、日本でも人気ですね)

お父様はシヴァ、お母様がパールバティです。


顔が象さんになったエピソードがあります。

子供に恵まれなかったパールバティさま、自分の垢を丸めそれに魂を入れて子供を作りました。

パールバティさまが水浴びをする時に「ガネちゃん、誰も入れたらダメですよ」と息子のガネーシャに言い水浴び。

そこにシヴァ神さまがご帰宅しました。携帯電話もなくまだシヴァ神には息子のことを伝えていません。

ガネーシャ君は知らない怖そうな顔をした人が家に入ろうとするので必死に止めます。

怖い神様のシヴァ神は怒ってなんとガネーシャ君の首を切り落とします。

そこに奥様が出てきて「あなた!なんてことするの!」とシヴァ神に言います。

シヴァも怖いが、パールヴァティはもっと恐ろしい。シヴァ神大ピンチ。

「次にこの前を通るものの首をつけるから許して!」とお願いしました。

最初に通ったのが何と象さんだったのです。

乗り物がネズミということですが、まだネズミに乗ったガネーシャを見たことはありません。





ハヌマーン

インドの二大叙事詩「ラーマヤーナ」に登場してくる。正義のラーマ王と王のの奥さまシータ妃がランカ島(スリランカ)の王ラーヴァナに略奪され、その救出をする時にお供をして活躍する。

ハヌマーンの特徴は大きさを自在に変化できることだ。 


ハヌマーン、胸を開き中に男女の顔が見えますね!
ふたりはラーマ王とシータ妃なのです。胸を開き「自分はラーマ王とシータ妃だけに仕え、命も惜しくない」という覚悟を表しています。




聖 地
あなたにとって死ぬまでに行きたい所はどこですか?

我々日本人が一生に一度は行きたい所、と聞かれて「お伊勢さん」「ベナレス」とか「カイラス」とか聖地を言う人は少ないかもしれない。

インド人、ヒンドゥー教徒の人々にとって聖地はとっても大切なところなのだ。

まずインドの四方に聖地「四大神領」がある。(チャトルダーマ)

北のヒマラヤにあるバドリナート。東のプリーにあるジャガンナート。南の海岸にあるラーメシュワラム。西のグジャラートにあるドワールカー



解脱の為に巡礼するのが「七聖都」と呼ばれる聖地だ。

「ハルドワール」「アヨーディヤ」「マトゥーラ」「カンチープラム」「ベナレス」「ウジャイン」「ドーワルカー」



先祖供養の為の「三聖都」と呼ばれる聖地もある。
「アラハバード」「ベナレス」「ガヤ」


どの聖地もヒンドゥー教徒にとってはとても大切な地で巡礼者の魂を清めてくれる場所なのです。
毎日、沢山の巡礼者が想いをもって旅をしています。